映画の日ってのを知ったので、シネマート六本木へ。
駐車禁止をくらったら嫌なので、ここにsteedを停めてから、チョット歩いたり・・・
映画館

瀬里奈横にひっそり佇む、シネマート。

観てきたのはこれ
映画のお供は、とある場所で入手したアップルタイザー。
アップルタイザー

彼女はピンクレモネード。
ピンクレモネード

小さな映画館。
映画館
   
『もし、戦争がある時代に生まれてたらどうする?』
なんて質問を彼女から頂いたけど、戦争があったら戦争には巧く参加しないんだろーなーと前々から考えてました。

平和主義とかそんなんじゃなくて、根が軟弱なんだと思う。

右だ左だと国を憂いたりするけど、論じるだけで、行動にも移せない優男。

今の時代に生きてるからの考えとかじゃなく、どんな時代に生まれても同じ様な生き方になってたんだと思う。

戦争の話になると、

『戦争を美化するな!』
とか
『アメリカかぶれ!』
とか
『なんだかんだイチャモンつけてくる奴は在日!』
とか、歪んだ極論ばっかり。

世の中を斜に構えるタイプだから、戦争中だって今みたいにフラフラしちゃうんだろーな。法の抜け道を探ったりして、丁扱いとか(;-o-)

まぁ、なんで戦争の話なのかって言うと、映画を見たからですよ(・з・)
『俺は、君のためにこそ死ににいく』。

知覧の特攻隊の史実を元にした映画。
映画の出来としてはかなり良かったね。日本が好きなら泣けるし、日本が嫌いだってまともな感性をもってたらウルウルくるよ。

この映画を見ずに、戦争を美化するなとか批判した人がいたけど、これは戦争を美化した映画じゃなくて、戦争下における特攻隊に関わった人の様々な思いを映画にし、戦争の意味を問い掛けてくる良い映画だよ。

日本軍が行なった特攻という作戦は、人としては最低な作戦だったんだと今でも思うけど、こんな平和な時代に生きてるからこその考えなんだよね。きっと。
戦争中、負ければアメリカに日本が喰われてしまう様な状況下で、日本と言う国の生き様を歴史に残す為の、脆くてひどく危険な作戦だったんだよ。
特攻は無駄死にだったなんて意見もあったりするけど、特攻へ向かった方々の命の重さと比べたら、確かに無駄死にだったのかもしれない。
でも、特攻隊として散った方々の命は決して無駄に散った訳ではないと思うよ。
今、戦争の話をふられて何だかんだと反論する様な人だって、実際にあの時代に生きてたら戦争に参加せざるを得なかったんだろうし、自分がどんな考えをもってようが、敵国から同じ日本人として見られてる限りは標的の一部だったんだろうし・・・

靖国神社の問題がここ数年話題に上ってたけど、この神社と戦争で散った方々の思いを考えれば、靖国神社の存在の意味がわからない訳がないはずなのに。

『靖国神社で会おう』

自分が戦争に行ってたとしたら、この約束のお陰で死ぬ事への恐怖が少しは和らいだんだろーなーとも考えたし、なんて言うんだろ、やっぱり青く切ないよね。

カラダでカラダを結んだって、ココロとココロが繋がったって、それはとても不安定なモノで、いとも容易く解けてしまう様な世の中なのに、あの頃は靖国でまた会えると信じて散っていった訳だよ。
日本をどうこうじゃなく、自分が愛する人の為、自分の故郷の為、英霊に。

特攻隊に選ばれた様な人の年齢をみると、16〜22位が多いんだよね。
やっぱり、幼すぎれば荷が重いし、年を食い過ぎて世の中を斜に見れるようになっちゃうと特攻なんて心が耐えられないハズだし。
若くて張り詰めたピアノ線の様な心を、巧く扇動して作戦を行なったんだろーな。
中年の悲哀の様な特攻じゃなく、夢や希望の負け押されてた戦況を打破するような特攻。

戦争の話をしちゃうと、長くなるからこの辺りにしておいて、映画の話に戻せばあすなろ白書に出てた(←例えが古ッ!)、カケイ君の役を演じてた筒井サンが良かったね。
天候不良や整備不良の為、特攻に出撃しても戻ってきちゃい、最後はね。
後は窪塚クン。あの最後の阿波踊りには泣けるね。

まぁ、戦争に対する考えの是非あるだろうけど、映画としてはかなりお薦めだね。若い世代に見て欲しい映画だな。


そんな訳で、映画とは全く関係ないけど、
【人は愛するものの死や自らの罪で追いやった他人の死によって、自分の死を受け入れることが容易になる】
なんで一文を見たけど、妙に納得したな。生きるとか死ぬとか、人間なら一度は考えた事のある哲学だけど、やっぱり死ぬって事を体験するのは、自分が死ぬその瞬間までは体験できないから、未開不知の恐怖なんだよ。
死ぬのが恐くないなんて言う人がいたりするけど、そんな事を考えてる時点で、その人の内には死に対して恐怖はあるんだろうし。
死にたくないって思ったりする人は世の中には沢山いるだろうし、反対に死にたいって思ってる人だって沢山いると思う。
今、この文章を見てくれてる人が前者なのか後者なのかはわからないけど、セイは後者に当て嵌まると思う。
でも、そう思う人の中にだってポジティブな考えの人が居たり、ネガティブな考えの人が居たりするんだよ。
前者の気持ちは理解できる。でも、後者の気持ちだって解る。
身近に居てくれる人の為に、生きていたいと思う気持ちはあるけど、もしも【愛するものの死】なんてのが訪れたら自らの死なんて容易いよ。
ここで書いてる愛するものは、彼女だけじゃなく親や兄弟や、周りに居てくれる友達なんか全て含めての意味。
自分に関わりがある人が全く居ないような世界を想像してみると、モノクロだよね。
目を閉じれば闇になって、真っ黒な世界になり、簡単に世界を終わらせられるのに、そんな世界を彩ってくれるのはやっぱり、愛する人なんだよ。

【その両の瞳から涙が盛り上がってきた。
笑顔のままでまるで天気雨のようだ。】
天気雨の様な涙って、女の子特有のものだと思う。
いや、男だってそんな涙を出すのかもしれないけど、天気雨って表現を当て嵌めれる涙を流せるのは女の子だね。

話が飛んだけど、やっぱり人は人と関わっていくからこそ、色々な色を覚えて、生きる事を楽しんだり苦しんだり、そんな感じなんじゃないかな?

だから、自ら死にたいって事はそんな関わりから抜け出したい事だったりするのかもね。

全然纏まってないけど、そんな事を考えたり。もっと巧く言葉で伝えられればいいんだけどね。

天気雨が支えてくれてるんだろーな。絶えず彷徨う心を。


そーいえば、今日は七夕だ。