と弱音

愚痴なら、吐ける友達や彼女が居てくれる。愚痴すら吐けなかった頃に比べたら成長したんだろうけど、未だに弱音を吐けない。

愚痴は言ってみてもどうにもならないけど、嘆いてることを聞いてもらいたいだけ。

例えば陰でコソコソと動かれると、何となく不快だと愚痴を吐いてみる。
そんな愚痴を吐いたところで、影でコソコソと動く奴が居なくなる訳じゃない。
影でコソコソと動く位なら、もっとしっかりと隠れてよ。
うんざり。

疲れる。

何なんだろ?

何にうんざりしてるんだろ?
そんな気持ちを有耶無耶にして誤魔化して、愛想笑いを浮かべる自分にうんざり。
気付かなくていい事に気付いて、気付かないふりをしちゃうような自分にうんざり。

愚痴なんてこんなもの。嘆くだけ。


弱音ってどうなんだろ。
弱音ってみんな吐いてるの? 愚痴が弱音? 
愚痴は吐ける癖に弱音を隠し持ってる。心の奥底に居る殻を被った何か。

依存出来ない。
依存して寄り掛かると、その支えがなくなった時、羽をむしられたトンボみたいになる。なった。

でも、トンボは羽が生えてこない。
だからチョット違うな。

でもでも、依存して裏切られるとそんな感じ。

依存する事と弱音を吐く事は別物だけど、言ってみただけ。

弱音って弱ってる時に吐くもの? 弱ってなくても、弱音を隠し持ってる。

弱くない自分を作っちゃってるから、今の人間関係の中では弱音ってものは吐く自分は居ない。居るのに居ない。
吐いたら楽になるのかな? でも吐いてしまったら、今の自分は無い。

たぶん、こんなものは人によって全然問題じゃないんだろうね。弱音を吐ける相手が居たり、弱音を吐く事自体に抵抗がかからない考えを持ってたりする。

ナヨナヨした弱音を硬い殻で被って、凛とする。


たぶん、全く見ず知らずの人になら弱音を吐ける。
居なくならないから。自分が。
でも、吐いたって何も変わらない。居なくならない変わりに、何も変わらない。
自分が居なくなったって、世界は変わらない。

それと一緒。

自分が居なくなったら世界が変わってくれる人。人達。
きっとそれは大切にしなきゃいけないもの。
でも、その人、人達には弱音は吐かない。吐けない。

こうして書いてる事は愚痴。
裏切らずに支えれるなら依存するし、居なくなっても無くなってもいいなら、弱音を吐くよ。

軽いな、今日の言葉は。