『転職するぞ〜』

なんて言いつつ、早数年。待遇も良いし、休みも比較的自由に取れるし、何より今在席してる会社が立ち上がった時から居座ってるのでぬるま湯に浸かってる様な8年。

書くと長くなりそうなので書きませんが、幾つか在った転職の分岐点のどれも選べず、なあなあに今の仕事を続けてきました。



自分の人生の中で何処に比重を置くのかなんて人によって違う筈なのに、世の中は仕事に比重が偏って、仕事に比重を置かない人間には、見た目では判らない程度に傾いた場所で暮らす様な、何となく居心地の悪い世の中。

こんな事を言いだすと、必ず

『なんだかんだ言っても、仕事を優先』

なんて結末に持って行かれちゃうんだよね。

誇りとか信条とか、確固たるものを持って仕事をしてる人は格好良いし尊敬してます。


でも、大多数は

『結局、お金の為』

と、日々仕事をこなしてるんじゃないの?

もしくは、何も考えてない。

幸運で、考える必要が無い。


生活していくにはお金が必要で、お金を稼ぐには仕事をしなければいけない。
生活をする為に仕事をしてる筈なのに、仕事の為に生活をしてみてたり、確証のないものに縋ってみたり。

それが悪い訳じゃない。
悪いとも言ってない。
思ってもいない。

別な場所に比重を置いてる人がいて、仕事とお金で常識を語るのは辞めて欲しいってだけ。


労働に対する対価だったり、不労でも才覚に対する対価であったり、何かを削ってお金を得て、そのお金で何かを得る。

お金で買える物を欲したり、お金で買えなくても、お金が有る事によって得られる目に見えない物を欲するなら、お金を稼ぐのは最善の方法なんだと思う。


お金が幾ら有っても買えない有限なものが欲しい場合、どうしたらいい?


例えは悪いけど、何かの病に侵されて余命を宣告される。

その人が欲するのは、お金なのかな?
お金で買える何かなのかな?




人の価値観なんて様々。

結局、余命を宣告されても、その時に欲しいと思うのは人それぞれ。

買えるものだったり、そうじゃなかったり。


そんな事は言っても、

『今日はありがとう。
指輪大切にするね。
○○はいつでも、●●くんの味方だからね。
こちらこそ、沢山言いたい放題に言って、ごめんなさい。
やりたいことがあるならば、応援するよ。
一緒に頑張らないとね。
だから、思っていることがあったら、何でも話をしてね。
話をしてくれないと、分からないし、認めたりも、助けたりも出来ないからさ。
これからも、宜しくお願いします』

こんな事を言ってくれる、大切な人が傍に居てくれるから、その人に苦労をかけない為にも何かを削ったりしながら仕事をしちゃうんだよね。

でも、それは前出のお金を得ようとしての仕事をしてるんじゃなくて、大切な人との幸せを得る為の仕事なんだよね。きっと。


辞めずに、自分の何かを削れば良かった筈なのに、それが出来ない。

まだまだ、甘いんだよね。


甘いけど、痴がましくて愚かよりは良かったと思う。

長い時間眠れなくて生き急いで、生き急いだ先に何が在るのかも知ってるのに眠れなくて。

セミリタイヤを希望してたけど、惰眠を貪る様に幸せを貪って生くのも良く思えてきたり。


そして、色々言う割りには、仕事をこなしてそれなりをキープしようとする卑しくて狡い自分。



それなりって何なんだろ?



勿論、不利益にならない様に辞めて、また何かを削る。

どうせ削るなら、負なオーラを背負い込む様に削らないものが良いな。



そして、安らかに眠れればいいかな。